瑠璃光寺  0Km   5月2日 18時20分

 今回は約300人の参加なので、約60人のグループによる5つのウェーブスタートだそうだ。しかも、例年のように3分毎と思っていたら、5分毎とのこと。初参加でコースがよくわからないため、最後のウェーブでスタートしたいので、午後6時20分のスタートとなる。

 スタート前に岡山の谷川さんを紹介して頂いた。私のこれまでに参加したフルマラソンとウルトラマラソンのほとんどすべての大会で谷川さんの名前があるのだ。びっくりしたのは、2001年の元旦に行われた「玉川上水元旦マラソン」。これは東京の三鷹あたりで行われるマイナーな大会なのだが、ここにも谷川さんの名前があったのだ。余程私と趣味が合うのか、それとも全国のほとんどの大会に出られているのかわからないが、とにかく凄いことだ。

瑠璃光寺
瑠璃光寺

 近くで広島の大村さんを発見。この人は私の最も尊敬し、目標とするランナーだ。フルマラソンを2時間40分で走り、ウルトラは8時間で走る高速ランナーだ。しかも、萩往還250キロも4回完踏している。大村さんも最終グループで走るそうで、一緒に走ろうと声をかけてくださったので、一緒に走らせて頂くことにした。

 午後6時からスタートが始まった。スタート前はフラダンスがあり、エイエイオーの掛声とともにスタートしていく。各グループでスタートするメンバーはナンバーカードのチェックがあるが、最後にスタートするグループはチェックがないと聞いていたので、のんびりしていたら、チェックするとのこと。慌ててスタート地点に移動してチェックをしていただく。そうこうするうちに6時20分になり、スタートした。

左端の青いタイツが私。上下黒のウェアで青い帽子が谷川さん。撮影はうめ吉さん。
左端の青いタイツが私。上下黒のウェアで青い帽子が谷川さん。撮影はうめ吉さん

 スタートしてしばらくはゆっくり走った。赤信号では皆立ち止まり、信号が青になるのを待ってからスタートした。さすがマラニック。のんびりと交通ルールを守りながら走るようだ。この精神を忘れず最後まで忘れずに走りたい。この信号が青から赤への変わり際に谷川さんが渡っていかれた。これで、谷川さんが先行することになった。

 この頃一緒に走ったのは、大村さんを中心に、大村さんの知人達。大村さんはマジメに記録を狙えばかなり上位に行けるはずなのだが、完走請負人と徹しているらしく、毎年何人かのランナーのペースメーカーをして完走させているらしい。過去に大村さんと一緒に走ったランナーたちが大村さんの周囲に集まっているのだ。これだけの人数が集まってくるのは、彼の人徳のおかげだと思う。

 この大村さんはかなりの話し好き。というより、ほんとうにいい人なのだ。彼と話していると楽しくなってくる。しかし、元々が走力のあるランナーのために、話に熱中するとペースが上がってしまうのだ。そりゃそうだ。フルマラソンではキロ4分を切るペースで最後まで走りきる人だ。キロ6分強なんてペースは走るのが辛いほどなのだ。大村さんのペースが速くなってくると、周囲の誰かから「速いよ〜」という声があがる。

 


JR上郷駅  13Km   (5月2日19時30分到着予定)

 初めてのエイドについた。ここでは広島の中村さんがスタッフをされていた。ドリンクとパンを頂いた。ここでグループ内にいた女性の川口さんがトイレにいかれるとのこと。男性トイレもかなり並んでいたので、ここでトイレに行かずに、途中で立ちションでもしようと大村さんと話していたのだが、川口さんがトイレに行くのを待つのならばと、我々もトイレに行っておくことにした。

 ここからヘッドランプを装着した。駅前の地下道を通って道路の反対側に渡り、歩道を走る。車道を走る車のライトが眩しい。わざわざハイビームに切り替える車もある。なんでわざわざハイビームにするのだろうか? 眩しくて足元がまったく見えなくなってしまう。こんなときに足元に段差でもあったら大変なことになる。

左から、小川さん、川口さん、入川さん、大村さん、私
左から、小川さん、川口さん、入川さん、大村さん、私

 


門村交差点  38km:   (5月2日21時頃 到着予定)

 例年ならば、ここにはエイドステーションがあるそうだが、今年はエイドはないとのこと。T字路を左折する。INAIさんと擦れ違った。早速、INAIさんにナンバの走り方を教えて頂く。しばらくその方法で走ってみた。初めてやるので長続きはしないが、さすがに腕(特に肩甲骨あたり)の疲労が少ないように感じた。昨年末の交通事故から、背中の調子が良くないのが気にかかっていた。整形外科に行ってレントゲンを撮っても骨に異常はないとのことだったし、整体に行ってみるとストレッチングをしろとのことだった。それ以降、ストレッチングをするようにしたのだが、まだ背中の調子が悪いのだ。今回の大会中に背中に異常が出て走られなくなったら、このナンバの走りを試してみよう。

 道はゆっくりと登っていく。ここまで何度も武内さんと擦れ違っていた。大村さんを中心とする我々の集団は走るペースは周囲よりも速いのだが、エイドステーションでの休憩時間が長いのだ。従って、走っているときは周囲をどんどん抜いていくのだが、エイドステーションで休憩しているうちに、先ほど抜いたはずのランナーに置いていかれてしまうのだ。こうして、武内さんとも、何度も抜きつ抜かれつを繰り返してきたが、急に武内さんのペースが上がったように思えた。それまでは走れば抜けたはずなのに、どんどん離れていくのだ。

 


西寺交差点  44km地点   5月2日23時頃到着  (約4時間40分経過)
    5月2日22時30分到着予定  (30分遅れ)

 西寺交差点に着いた。ガソリンスタンドの敷地内にあるエイドステーションだった。エイドステーションでは、鮎川さんが出迎えてくださった。早速、鮎川さんに妻からのお土産を手渡した。鮎川さんは大洋時代からの横浜ファンだそうだ。私の妻もそうなので、以前お会いしたときに意気投合したのだった。お土産は横浜ベイスターズのバンダナ。昔、私が横浜出張で買ってきたのだが、妻も既に持っていて、家にダブっていたのだ。鮎川さんはエイドに入ってくるランナーをチェックする役目をされているようで忙しそうで、あまり話すことができなかった。このバンダナを気に入ってくださるといいのだが。

中腰になっているのが、鮎川さんと私
中腰になっているのが、鮎川さんと私

 エイドステーションでは女子高生が世話をしてくれていた。レモネードを頂く。ここで、先ほど武内さんのペースが上がった理由がわかった。この女子高生パワーだ。この女子高生エイドは有名なので、鮎川さんを誘って、私も写真を撮って頂いた。

# この件について、鮎川さんからメールを頂いた。本当は頂いたメールで判明したことを書きたいのだけど、萩往還に挑戦している/しようとしている方々の夢のために伏せることにする(笑)

 大村さんたちはエイドの隣にあるコンビニに行くとのこと。鮎川さんに挨拶してコンビニに向かう。鮎川さんから、次のエイドには奥さんがいらっしゃることを聞いた。

 コンビニで食べ物を探すが、レジの前に御餅を見つけ、これを買った。ついでにトイレに行くことにした。というのは、既に川口さんが並んでいたので、一緒に並んだのだ。なかなか前の人が出てこないので、レジの店員さに断ってから店内で御餅を食べることにした。食べ終わっても出てこない。あまりにも遅いので、店員さんがトイレの様子を伺いにドアの前まで行ってみてくれたが、音がしているとのこと。私だけならば諦めるのだが、どうせ川口さん(女性)が並んでいるのだから、ついでに並んで待った。

 ようやく出てきたのは谷川さんだった。声を掛けてみると、調子が悪いとのこと。トイレを終えてコンビニの外に出ると、谷川さんが店の前に座り込んでビニールカッパの上下を着ようとしていた。寒気がするのだろうか? 大丈夫だろうか?

 大村グループがスタートした。なんだか人数が減ったようだ。コンビニに誰か忘れてきたか? ここまできつい登りはなかったが、このあたりから登り坂の勾配がきつくなり始めた。きつい登りは歩くことにした。住友@徳島さんと擦れ違う。住友さんは徳島の3人グループで走っていたはずだ。他の二人もすぐ後ろにいるとのこと。

 登り坂で歩いていると、赤野さんが追いついてきた。やはりコンビニに置いてきてしまっていたようだ。

 暗いところに小ぢんまりとしたエイドがあった。ここには鮎川さんの奥さんがいらっしゃった。お茶を頂いて、更におかわりを頂いた。出発して大村さんが聞く。「2杯飲んだ人いる?」自分は2杯飲んだと答えると、あそこのエイドは毎年1杯だけなのだとのこと。2杯飲むと怒られるそうだ。私が2杯飲めたことを大村さんが不思議がっていたので、エイドをやっていたのが知人だったからだろうと答えると、なんでこんなところに知人がいるのかと、びっくりしていた。

 次のエイドは豊田湖だ。道を鋭角に右折し、急な坂を登って右側に山本ボートの食堂があった。ここがチェックポイントだ。

 


豊田湖・山本ボート  57km:   5月3日0時57分到着  (6時間37分経過)
    (5月3日0時10分到着予定)  (47分遅れ)

 食堂に入ってまずはノートに到着時刻を記入した。2ページ目の右側半分あたりだった。1ページで40人だったから、約70番くらいだろうか。食券を渡して食事を頂く。食事はうどんとおにぎり2個。大村さんが足にマメが出来たそうで、ここでつぶすそうだ。しばらく時間がかかりそうなので、トイレに行って座ってみた。うーん、出そうで出ない(笑)

ちょうどやってきた、nabeさんに撮影を頼んだ。私の右でUMMLのウェアを着て帽子が光っているのはビールを飲むINAIさん。
ちょうどやってきた、nabeさんに撮影を頼んだ。私の右でUMMLのウェアを着て帽子が光っているのはビールを飲むINAIさん

 一つしかないボックスを長時間占領するわけにもいかないので、すぐに諦めて出た。洗面所でメガネを洗った。今回、初めて長距離をメガネで走るわけだが、レンズの汚れが気になっていた。本来、エイドに入る毎にレンズを水洗いしてティッシュで拭こうと思っていたのだが、幸いにもここまで気にならなかった。メガネを洗って視界が綺麗になると気分一新・・・すればいいなぁ(笑)

 我々が食堂から出るころ、INAIさんが来られてうどんを食べていた。うどんの横にはお決まりの缶ビール。まだ50キロしか走っていないのに、凄すぎる。

 食堂を出ると外は寒かった。寒いのですぐに走りたい者と、食べた後は腹ごなしにゆっくり歩きたい者とに別れた。私は寒かったので走る方のグループに入って、しばらく先行した。トンネル内が少し暖かかったので、ここで後続グループを待った。

 また6人くらいの大グループとなって次の俵山温泉を目指す。俵山温泉には簡単なエイドがあり、ここで給水を取る。給水をとってすぐにスタートしたのだが、大村グループが別れてしまったようだ。数人がまだエイド近くにいるのに、小川@岐阜さんが先に走っていくのを目撃した。しかし、我々は川口さんがトイレにでも行っているのだと思いしばらく待っていたが、なかなか現れない。川口さんを一人にするのは忍びないという大村さんがしばらく残って後続を待つというので、我々はゆっくりと前進することにした。しばらくして大村さんが追いついてきたが、川口さんはいなかった。どうやら、さっき先行していった小川さんについていったのではないかということになった。

 なんとか確認したいので、ペースを少しあげて小川さんを追う。この小川さんはUMMLのメンバーだ。さくら道のネイチャーランにも出られた実力者だが、以前の萩で大村さんに世話になったようだ(詳しくは知りません。ごめんなさい)。それで同じグループで走っていたのだ。前を走るランナーの灯りが見えると、小川さんと川口さんかと思いペースを上げて追いつくのだが、違う。何度も何度も繰り返し、下り坂に入ったところでようやく二人を捕捉した。やっぱり川口さんは前を走っていたのだ。

 


大坊ダム  76km:   (5月3日2時25分 到着予定)

 大坊ダムのエイドに到着。ここは読売新聞の作文コンクールで入賞したお嬢さん(萩往還でのエイドを題材にした作文)がいらっしゃるエイド。ということは頭の隅にはあったのだが、ボケていて、探すのを忘れてしまった。豚汁があるというので、これを頂く。男子高校生が手伝ってくれているようだ。欲しいドリンクを聞いてきたので、お茶を頂く。こんな夜遅く(朝早く?)から大変だと思う。本当にありがとう。

有名な長谷川さんと写りたかったのだけど。。。
有名な長谷川さんと写りたかったのだけど。。。

 


海湧食堂  86km:   5月3日4時51分到着  (10時間31分経過)
    5月3日3時40分到着予定  (1時間11分遅れ)

 海湧(うみわき)食堂に到着した。外は肌寒かったが、食堂の中は暖かくて生き返る思いだった。まずは到着時間をノートに記入した。2ページ目だが、さっきの豊田湖よりも人数が減っている。50番くらいだろうか。

 席に着くと注文を取りにきたので、食券と引き換えにお粥をお願いした。お粥と味噌汁。そしてカニの甲羅に入ったグラタン(?)だった。カニグラタンなのだろうか。席の横には座敷があって、既に寝転んでいるランナーが数人いた。100キロ近く走っているから疲れているのだと思うが、ここで眠いってことは48時間もたないのではなかろうか。大村さん曰く、おそらく彼らは最後まで走られないだろうとのこと。確かに目が死んでいる。闘志が見えないのだ。

ドアップでごめんなさい
ドアップでごめんなさい

 食べ終わった頃、刺激臭がした。エアサロンパスの匂いだ。前の席に座っていた入川さんが「臭いなぁ。ここで使っちゃいけないのに」とわざと聞こえるような声で話す。食堂内で使うと匂いがこもってしまって大変なのだそうだ。毎年、食堂から大会へ苦情があがるとのこと。また今年も苦情があるのだろうな。

 席を立った頃、スタッフの中村さんがやってきた。ランナーの到着時間を記入したノートをチェックに来たそうだ。

 食堂を出たところは三叉路になっている。ここを来た道からすると左折して俵島方向に向かうのだが、直進すると川尻岬だそうだ。何人かでチェックシートを分担して押して回れば楽だと(もちろん冗談で)話していると、隣にスタッフの中村さん。悪事を提案した赤野さんのゼッケンはチェックされたよと脅かす。

 しばらくアップダウンがきつい道がつづき、大浦漁港についた。自販機でコーラを買って飲む。いつもならばこのあたりにエイドステーションがあって、荷物を預けてチェックシートだけを持って俵島に向かえるのだが、今年はエイドステーションがないとのこと。仕方ないので荷物を背負ったままで走った。

 昨年はこのあたりで野イチゴが成っていて、それを摘んで食べたそうだ。今年はないのか探しながら走るが見つからない。ようやく見つけたのは道端の斜面の上の方。大村さんが登って食べた。私はこんなところでケガしてもいやなので我慢した。その横を折り返してきた岡村さんが通過。女性一位だ。

 くねくねした道を上り下りしながら俵島に急いだ。

 


俵島  97km:   5月3日6時40分到着  (12時間20分経過)
    5月3日5時15分到着予定  (1時間25分遅れ)

 ここにはチェックポイントがあった。チェックシートにパンチで印を付ける。ここがチェックシートを使う始めてのポイントだった。チェックポイント近くに、軽トラックの荷台に水タンクを載せて私設エイドを開いてくださっているおばあちゃんがいた。おばあちゃんに水とキャンディを頂いた。いつも余って困るのでもっていってくれと頼まれて、キャンディをいくつかザックのポケットにねじこんだ。

とてもかわらいらしく、やさしいおばちゃんでした
とてもかわらいらしく、やさしいおばちゃんでした

 ここで大村さんが、来た道を引き返さずにそのまま走って一周しようと言い出した。確か、クニさんのコースガイドにも一周するルートがあって、ほとんど変わらないと説明してあったはずだ。エイドのおばあちゃんに聞いてみると、一周したほうが近いだろうとのこと。ただし、以前一周した大村さんによると、一周するコースの方がアップダウンがきつかったのと、放し飼いの犬が数匹いて困ったそうだ。犬は一人だったら怖いが数人が一緒に走るのだったら怖くない。結局、大村さん、川口さん、赤野さん、そして私の4人が一周コースを走ることにした。他のメンバーは元来たルートを戻って行った。

 チェックポイントを過ぎたところに転がっていた竹を大村さんが拾って手で持てる長さに折った。どうやら犬対策らしい。確かにこのコースはアップダウンがきつい。下り坂で足が痛む。私の外反母趾&強剛母趾の足は下り坂に弱いのだ。下り坂ではシューズの中で足が前方向に滑ってしまい、母趾の横腹を刺激するのだ。下りでスピードダウンしたいのだが、他の皆は下りでスピードがあがる。迷惑をかけたくないので必死で頑張ってついていった。

 しばらく走ると、俵島先端までのルートが見えてきた。ここまでくると犬はいないので大村さんは竹を投げ捨てた。元々のルートに合流。確かに距離は短いような気がした。海沿いを走る。前方から武内さんが走ってきた。次はくーさん。

 川尻岬方向への分岐のY字路に到着。ここはもちろんエイドではないので誰もいない。しかし、ザックがいくつか置いてあった。大丈夫かなぁ? 山口の田舎だから悪い人はいないと思うが、何かあったら大変だ。ザックがなくなったらレースを継続するなんてできなくなるのではなかろうか。

 


川尻岬  107km:   5月3日8時2分到着  (13時間42分経過)
    5月3日6時40分到着予定  (1時間22分遅れ)

 川尻岬に到着してすぐにカレーを注文した。頭がボケていたのか、カレーが出て来る前に着替えの荷物を持って部屋に入ってしまった。ここで素っ裸になって着替えた。ここからは半袖シャツ&ハーフタイツだ。しかも、バックをリュックタイプのザックからウェストポーチにした。ウェストポーチの中身は使い捨てカメラとZIPロックの袋。ZIPロックの袋の中身はポケットティッシュや医薬品等だ。

 後から気付くのだが、ここで失敗をしてしまった。ZIPロックの袋の中には医薬品を入れていたのだが、ここまでに使った薬はここで補充する予定だったのだ。しかし、使用した鎮痛剤と胃腸薬を補充しなかった。従って、ここから次の補充ポイントの宗頭までは鎮痛剤2錠で走ることになった。

 着替えを終えようとする頃に他の人たちが入ってきた。大村グループのメンバーだ。聞くと、既にご飯を食べたとのこと。食べてから着替えた方がお腹にいいのでそうしたそうだ。しまった! 本当は自分もそう思ってカレーをすぐに注文したのに、食べないままで着替えを始めてしまったのだった。それから他にも二人ほど知らないランナーが入ってきたが、すぐに畳の上で寝転んだ。もう眠たいのだろうか? 今からそんなことでは最後まで走りきれないのでは? 大丈夫? なーんて思いながら元気に外に出てカレーを頂いた。

 ここで妻にレース経過を電話連絡することにした。都合がつけば、ネットの掲示板に書き込んでもらうことになっている。しかし、公衆電話を探すがどこにもなかった。スタッフに聞いてみたが、ないとのこと。諦めかけていたら、「携帯電話があるよ」という答えが返ってきた。私物の携帯を貸してくれようとするので断ったのだが、貸してくれるというので、ありがたくお借りすることにした。妻の携帯に電話し、到着場所と様子を簡単に話す。借り物の携帯を使っているからと説明してすぐに切った。携帯を返すときに代金を払うというと、「出世払いでいいよ」という返事。「出世なんかしないよ〜」というと、「じゃぁ、一億円!」あはは、こりゃダメだ(笑)

 予定では、ここでシューズをミズノ・ウェーブプレシジョンに替えるつもりだったが、ここまで履いてきたウェーブライダーVIの調子が良かったし、ウェーブプレシジョンは幅が心持狭目だから、浮腫んできている足には痛いかもしれないと思い、靴の交換はやめた。

 出発した直後、nabeさんと擦れ違った。時間差は30分強といったところだろうか。


0.大会前日 2.川尻岬〜宗頭
 
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Last update: June 15, 2003