宗頭  175km:   5月3日21時39分出発  (27時間19分経過)
    5月3日17時15分出発予定  (4時間24分遅れ)

 宗頭チェックポイントの建物を出ようとすると、スタッフに呼び止められた。同行者を探している女性ランナーがいるとのこと。この女性は足を痛めており、どこまで行けるかわらないが頑張るとのこと。ご主人さんが車で並走しており、だいたいは大丈夫なのだが、藤井酒店からの山道を一緒に走って欲しいと頼まれた。昨年は200キロ過ぎでリタイヤされたそうで、今年はなんとか頑張りたいとのこと。

 道路に出ると、そこにはまだ中村さんがいらっしゃった。寒く暗い中のスタッフ業務、ご苦労様です。

 住友さんを先頭に、適度に歩きを交えながら前に進む。私は藤井酒店は宗頭チェックポイントのすぐ近くにあるものだと勘違いしていたが、実はかなり離れているようだ。急いで出発したのでシューズの紐の調子が悪い。街灯があったので、皆に先に行ってもらって、一人立ち止まって紐を直すことにした。しゃがみこんで紐を直し、さて立ち上がろうと思って足元を見ると、ロープのようなものを踏んでいることに気付いた。よくみて見ると、蛇だった! 車に轢かれたかでぺちゃんこになった蛇の死体だったのだ。驚いて飛び上がってしまった。

 藤井酒店が見えてきたので、そこまで走ることを提案した。藤井酒店からは急な坂道が続くので走られないだろうからだ。しかし、提案した私自身が走られなくなった。左足の足首と脛のあたりが痛んだのだ。この痛みは初めてだ。宗頭に着くまでも脚は痛んでいたが、それは大腿四頭筋と脹脛(フクラハギ)だ。脛(スネ)が痛むのは初めてだ。嫌な予感がした。

 藤井酒店でチェックシートにチェックを行った。住友さんによると、上まで行けば、自販機があるとのことだったので、ここでの給水はやめた。私はスネがひどく痛むのでエアサロンパスを吹き付けた。お風呂に入ったのが影響したのだろうか?

 やっと山頂についた。ここから国道に合流する。ほとんど下り基調。しかし、期待していた自販機はなかった。さっきの急な山道を登ってきた分だけ下りるみたいだ。住友さんが言うには、三見駅方面へは左側に鋭角に曲がるのだが、そこまでに迷いやすい曲がり角が何箇所かあるとのこと。しかし、正しい道は明るい場所で広い道を曲がる。そこまでの誤った道は暗くて狭いから、このことを念頭においておけという。また三見駅からは道がややこしいから、誰かと一緒に走ったほうがいいとのこと。これらを言い残すと、どんどん走って行ってしまった。

 残されたのは、あぼしさん、川口さん、そして私。宗頭から一緒だった女性はいつのまにかいなくなった。まぁ、ここは国道だし、ご主人のサポートカーが一緒にいるので大丈夫だろうと判断して、待つことはやめた。

 かなり下ったところで、国道左側に自販機発見。ここで私と川口さんが給水。ここでもあぼしさんは給水なし。

 三人で走っていると、後ろからやってきたランナーに抜かれた。どうやら、あぼしさんの知人らしい。関西周遊の常連さんだそうだ。あぼしさんが彼に道を聞いてくれた。この長尾@京都さんは3年前に萩往還を走ったことがあるそうで、おそらくこの道で間違いないだろうとのこと。それにしてもなかなか三見駅への曲がり角が出てこない。

 遠くに町の灯が見えてきた。そろそろ分岐があるはずだ。そうこうしていると、あぼしさんが、左への分岐の標識があったと言い出した。少し戻って見ようとも言っていたので、住友さんが「分岐する道は明るい」と言っていたことを話し、もうしばらく走ってみることを提案した。すると、下り坂の下の方で長尾@京都さんが待っているのが見えた。どうやら、あそこが分岐のようだ。しかし、予想に反して明るくなかった。街灯の電球が切れていた(笑)。

 三見駅を目指して、4人で走っていった。時間は深夜だが、まだ起きている家もあるようで、窓の明かりも漏れている。川沿いに走り、三見駅を目指す。なかなか見えてこない駅舎に不安になったころ、三見駅に到着。

 


三見駅  187km:   5月4日0時7分到着  (29時間53分経過)
    5月3日19時00分到着予定  (5時間7分遅れ)

 駅舎についてまずは、チェックシートにチェック。その後で駅舎に入り、しばし休憩。川口さんがトイレに行き、その次に私もトイレ(大の方)。ここで問題発生。このトイレ、照明がつかないのだ。スイッチも見当たらない。本来、ランナーはヘッドランプを持っているはずなので、ヘッドランプを使えばいいのだが、私のランプはザックの腰紐に装着しており、簡単には外れないのだ。エイドにいらっしゃったスタッフに聞いてみると、携帯蛍光灯を持っているとのこと。早速、それを借りてトイレに入った。用を済ましながら壁を見てみると、いろんな落書きがあった。その中で気になったのは、「見られてる」というマジックで書かれた落書き。変なこと書くなぁと思っていると、他の壁にも書いてあった。気になり始めたらどんどん気になってきた。急いで用を済ませて外に出た。あー、怖かった。

 駅舎でお茶とチョコレートを頂いて、スタート。ここからは道が複雑らしい。絶対に誰かに付いていくようにという、住友@徳島さんの強い伝言があった。メンバーはあぼしさん、川口さんと、私。それに、過去に完踏経験のある長尾@京都さん。先頭であぼしさんと長尾さんがあれやこれやと道を考えながら走ってくれた。その後を川口さんと私が何も考えずについていった。とても助かった。

 山の中に入り、勾配がかなりきつくなってきた。ガードレールもない狭い山道だ。急に睡魔が襲ってきた。瞬き(まばたき)において、目を閉じている割合が増えてきた。ガードレールもない急勾配な山道なので、危ない。一歩間違えば谷に落ちてしまいそう。なんとか踏ん張って登った。

 すると、山の中に明るい個所があり、そこはエイドステーションだった。ボランティアの私設エイドだ。街灯もない真っ暗な山の中で一人でずっとランナーがやってくるのを待ってくれていたようだ。自分だったらちょっとできない真似だ。何か出てきそうなほど静かで真っ暗な山なのだから。ありがたく給水をさせていただいた。

 さきほどのエイドで少しは眠気が覚めたと思っていたが、また眠くなってきた。川口さんも同じ状況のようだ。足がふらついている。道端で寝転びたいが、ここで寝転ぶと風邪ひきそうだし、第一、危険でもある。次の大きな目標は玉江駅だ。ここに着いたら、前を走る二人と別れて、二人で仮眠しようと提案した。川口さんもとても眠いのか、そうしようと同意。とにかく、ここで寝てしまうと危険なので、玉江駅まで頑張ろうと励ましあった。玉江駅だったら、外で寝るよりは暖かいだろうし、スタッフがいれば、目覚ましを依頼できるかもしれない。

 しかし、そうは簡単には行かなかった。前の二人が立ち止まった。道に迷ったようだ。玉江駅がわからないとのこと。私も地図とコンパスを取り出して周囲を見てみる。よくわからない。地図によると、すぐ側に海があるはずだ。海の方向に道を変えてみた。すると、海に出た。海沿いの道もある。萩常磐橋が見えた。ここまでくれば玉江駅に立ち寄らなくても、常磐橋に向かえばいいはずだ。勘で常磐橋方向へ行ってみた。なんとか橋のたもとに辿り着いた。

 結局、川口さんと玉江駅で仮眠をとることはできなかったが、なんとかコースに戻ることができた。常磐橋をふらつきながら渡りきった。あぼしさんが、靴紐を直すのか立ち止まった。前方にランナーが見えた。川口さんのペースが急にあがった。前のランナー達と すれ違った。住友@徳島さんがいらっしゃった。長尾さんが、立ちションか、道路の右側を平行して走る川の方に行かれた。なおも川口さんのペースはあがったままだった。私はなんとか着いていった。長尾さんが見えなくなり、あぼしさんが追いついてこられた。

 しばらく、何もない道を走るとのことなので、コンビニを探した。都合よく、「ポプラ」を発見。あぼしさんはご存知なかったが、広島が発祥の地のコンビニだ。最近は関東地方にも進出して話題になっているが、関西にはないのだろうか。ポプラでオムスビと眠気覚ましのカフェイン入りドリンクを買って、店の前に座り込んで食べた。後続の住友@徳島さんたちは先に行ってしまった。

 


笠山  204km:   5月4日3時53分到着  (33時間33分経過)
    5月3日21時40分到着予定  (6時間13分遅れ)

 明神池の前を通過。ここに綺麗なトイレがあった。住友さんの話では、ここには洋式トイレがあって、お勧めだとのこと。とりあえず復路に寄る事にして、笠山に急いだ。笠山は、山頂にチェックポイントがあるそうだ。あぼしさん曰く、チェックポイントが見つからないとの本部への問い合わせが最も多い個所だとのこと。確かに不安になるほど、上に上っている。坂道を登る途中で、降りてくる住友さんたちのグループと擦れ違った。

 川口さんが遅れ始めた。眠いのだろうか? 私は快調そのもので、順調に上りつづけた。時折、後続のあぼしさん、川口さんを待つ。ようやく山頂らしき駐車場に着いた。しかし、ここにはチェックポイントはない。更に上に上る階段があったのだ。そこを上ると、広場の中に点滅する赤い蛍ライトがあった。そこがチェックポイントのようだ。早速、チェック。階段の最上段に座って、下からやってくる二人を待つ。ようやくやってきたので、ここがチェックポイントだと知らせた。

 二人がチェックしているうちに階段を下りて、駐車場にあったトイレに行った。チェックを終えた二人が下りてくるのを待って、三人で坂道を下る。下る途中で右側にそれる道があり、矢印も確かあったはず。あぼしさんは気付いてなかったようだ。坂道を下りていくと、やはり私が見つけたところに矢印があった。そこを鋭角に右折。

 


虎ヶ崎  207km:   5月4日4時37分到着  (34時間17分経過)
    5月3日22時00分 到着予定  (6時間37分遅れ)

 椿の館に到着。まずはチェックシートにパンチをして、ノートに時間を記入した。椿の館に入って食事を御願いする。食事はうどんセットを御願いした。うどんだけを頼む者もいた。私もそんなに食欲はなかったが、エネルギー補給の意味で無理やり食べることにした。あぼしさんが、ここで仮眠しようと提案。川口さんと私も同意(というか、一番元気なあぼしさんが我々のために仮眠を提案してくれたのだ)。川口さんがまだ食べてい たので、食べ終わった私は先に仮眠をすることにした。

 スタッフに御願いする目覚まし時間は15分間にすることにした。川口さんがスタッフに御願いして起こして頂き、私は川口さんに起こして頂くことにした。私は一足先に仮眠をはじめるので、少し長い時間寝られることになる。食堂の奥に座敷があって、そこで仮眠が取れるというので、いってみると、座敷はすでに仮眠をとっているランナーで一杯だった。詰めてもらえば寝られそうでもあったが、寝ている人を起こすのも悪いので、諦めて、座敷の前の席の椅子で寝ることにした(このあたりの席は使われていなかった)。椅子を3つほど並べて横になった。スタッフが何分で起こして欲しいか聞いてきたので、連れの者に頼んであるから断って寝た。

 寝たような感じではなかったが、川口さんに起こされた。熟睡していたようだ。20分ほどは寝られただろうか。さっそく出発する準備をする。食堂を出ようとしたとき、nabeさんがやってきた。ちょうどいいので写真撮影を御願いした。

虎ヶ崎 あぼしさんと
虎ヶ崎 あぼしさんと

 食堂を出てからは、少し木々の茂る中へ進む。アップダウンが適度にあるが走りやすいコースだった。海沿いの道を進み、明神池に出た。途中でトイレのある駐車場もあったが、とりあえず明神池にまで行くことにした。

 明神池で三人とも用を足し、出発。途中で武内さんと擦れ違う。その後から、くーさん。くーさんは間に合わないかもしれないと言っている。まだ大丈夫だとあぼしさんと説得。我々は一路、東光寺へ。

 


東光寺  215km:   5月4日0時10分到着予定

 萩焼会館前を左折。東光寺に向かう。なるべく狭い歩道を通ろうとするが、傾いていたり、側溝の蓋があったりして路面が悪い。足元を見ながら走る。川の手前に看板があって、コースの案内図があった。しかしよくわからない。コースの進行方向と地図の向きが違うのでよくわからないのだ。後ろからあぼしさんが追いついてきて、やっぱり「わかりにくいね」とのこと。向きを考えて地図を描けばいいのに。まぁわかりにくい場所でもないので、そのまま川を渡り、狭い遊歩道のような道をのぼっていく。クニさんのコースガイドで推奨されていたルートのようだった。

 なかなか東光寺が出てこなかった。痺れをきらしたころ、右手に見えた。正門手前のチェックポイントでチェックシートにパンチ。これですべてのチェックが終わった。

 正門前で写真撮影。

東光寺 川口さんと
東光寺 川口さんと

 自販機でジュースを買って給水。ここから自販機に向かって左側の道を行く。他のランナーは自販機の右側の道(さっき来た道)を引き返していた。あぼしさんの話では、左側の方が楽だとのこと。

 萩市内を通過。どこかで左方向に曲がって萩駅方向に向かうはず。曲がり角には案内矢印があるはずとのこと。地下道があった。川口さんが、この地下道は道路の向こう側には行けないので、地上を渡ったほうがいいと主張。しかし、地下道に進入すると、ちゃんと道路の向こう側に行けた。川口さんの勘違い。次にまた地下道があった。ここは道路の向こう側に出口がないようだ。おそらく、4方向ではなく、2方向のみを接続する地下道だろう。ここは川口さんのいうとおり、地上を通って渡った(横断歩道ナシ!)。そのまま直進して走った。隣をかなりのスピードでB組(140キロの部)のランナーが走りすぎていった。続いてA組のランナーも走りすぎていった。

 なんだか変に思い始めた。そろそろ左折のはずなのだが、一向に案内矢印がないのだ。市役所前まできた。ここには付近の案内地図が掲示してあった。それを見てびっくり。さっきの地下道が通れなくて地上を渡った交差点を左折だったのだ。何度も繰り返して確認したのだが間違いない。そういえば、さきほどとおりすぎていったランナーがいたことを思い出した。「おーい」と大声で呼んでみた。B組のランナーは気付かずにそのまま行ってしまったが、A組のランナーが気付いて振り返った。

 A組のランナーに道が違うことを身振り手振りで知らせた。彼も理解して進路を変えた。戻ってくるのを確認した上で、我々も元来た道を戻って右折した。これで萩駅方向に進めるはずだ。萩駅方面に走り、有料道路方向に進路を変更。このあたりにくると道路に案内矢印があるのだが、B組(140キロの部)のランナーの往路を対象にしているのか、方向が逆になっていてわかりづらい。

 そのまま有料道路を走っていくのだと思っていたのだが、有料道路に平行した遊歩道(?)のような道を進む。

 


有料道料金所  222.8km:   5月4日8時30分頃到着  (38時間10分経過)

 自動車道に向かって走っていると、後ろからかなりのスピードで追い越していくB組(140キロの部)のランナーがいた。そのフォームに見覚えがあった。萩市役所あたりで、左折すべきところを直進していったランナーだった。引き返してきたみたいだ。そのランナーはまっすぐ走っていった。あぼしさんと川口さんが焦って違うと言っている。彼らは、過去に140キロの部を走っており、このあたりのコースは熟知しているのだ。さっきのランナーは、またもや左折すべきところを曲がらずにまっすぐに行ったようだ。大声で知らせた。彼は気付かない。隣を歩いていた近所の方が気付いて彼を呼び止めた。道が違うことを身振り手振りで知らせると引き返してきた。

 140キロは往復コースなので、一度ここは通っているはずなのだが。このランナーは地図を見ようともしていない。おそらくコースの予習もしていないのだろう。マラニックの意味がわかっていないのだろうか。こういうランナーが、後から大会事務局にコースがわかりづらいとかって文句を言うんだろうな。

 遊歩道のような道から自動車道に合流する。しばらく走ったところが有料道料金所。ここにはエイドがあった。ここにはオムスビが用意されていた。二つ食べたかったが、とりあえず遠慮して一つ食べた。おばちゃんが手作りのりんご酢はどうかと言ってきたので、頂くことにした。りんご酢は疲労回復にいいのだ。原液では濃すぎるとのことで、おばちゃんが薄めてからくれた。少し薄すぎるようだが、味はバッチリだった。他に漬物も頂い た。

有料道路入り口エイド。撮影は涼一郎さん
有料道路入り口エイド。撮影は涼一郎さん

 出かけようとしたところに、nabeさんとUMMLの高田さんが入ってきた。二人とも広島コンビだ。虎ヶ崎では、差があったのだが、とうとう追いつかれてしまった。トイレに行ってから出発。急な石段を登っていき、往還道の入り口があった。山道で楽しそうな道だ。あぼしさん、川口さん、そして私。すぐ後ろにはnabeさんと高田さんが続く。

 舗装路に比べると走りやすい山道を上り下りし、川を渡ったところで、明木市のエイドがあった。

一升谷の石畳。撮影は涼一郎さん
一升谷の石畳。撮影は涼一郎さん

 


明木市  226km:   5月4日2時55分到着予定

 エイド前に並べてあった椅子に腰掛けて休憩。ここには川口さんの知人ランナーがいらっしゃったようで、写真撮影をしようとしていた。カメラマンを買って出て、写してあげた。それにしても、暑い。

 暑い中を出発。最初のうちは走られていたが、途中で喉が渇いてきた。脱水症状になりそうだ。暑い〜

 自動車道上で、自販機を発見。川口さんが500円硬貨を入れた。ダメみたい。私が100円硬貨を入れてみた。やはりダメみた。返却口に硬貨が落ちてくるのだ。どうやら自販機の電源が入っていないようだ。ちくしょ〜

閉店した喫茶店と、電源の入っていない自販機。撮影は涼一郎さん
閉店した喫茶店と、電源の入っていない自販機。撮影は涼一郎さん

 自販機の後ろの広場の端の山から湧き水が落ちてきていた。川口さんが、この水を飲んでいた。私も飲もうかと思ったのだが、山の上に何があるかわからないので(田畑やトイレがあると大変なことになる)、飲むのはやめて、唇を湿らせる程度にした。

 古屋さんの奥様と、そのお友達と擦れ違った。ウォークの35キロの部に参加されていたのだ。千畳敷でお会いしたときは、私も元気な頃で、仲間の中ではトップだったのだが、今や、徳島三人組に抜かれて、走られなくて喘いでいるのだ。なぜか古屋さんの奥様のお顔を見ると、とても懐かしくて、急に緊張の糸が切れたようになり、涙が出てきた。何も喋ることもできずに擦れ違った。もうすぐ、豆腐のエイドがあるよとの声に元気を頂いた。

 しかし、エイドがあると聞いても、一向にエイドは出てこなかった。暑い。自販機を探しながら走るが、そんなのがあるような道ではなかった。唇が乾く。頭は朦朧としていないので、脱水症状にはなっていないとは思うのだが、闘志を失うに十分な暑さと乾きだった。途中にあった民家に入って、水をくれと御願いしようかと思ったほどだ。沿道で応援してくれる家でもあれば、本当に御願いしようかとも思ったが、そうでない家に入っていって、何らかの問題になっても困るので、それはやめた。

 


佐々並  236km:   5月4日5時10分到着予定

 暑い。とにかく暑い。この暑さで喉が乾いて大変だ。

 坂道を下りてきて、ガソリンスタンドが見えてきた。あぼしさんが、もう少しでエイドがあると言う。やっと給水ができる。しかし、あと数百メートルが我慢できなかった。ガソリンスタンドにあった自販機でコーラを買った。ペットボトルが欲しかったがなかった。しばらく走るとまた自販機があったので、ここでお茶のペットボトルを買った。これはザックの中に入れた。

 佐々並エイドでは豆腐が有名らしい。一つ頂いた。確かにおいしい。お代わりがしたかったが、断られるのがこわくてやめておいた。お茶を何杯も頂いた。

佐々並エイド。撮影は涼一郎さん
佐々並エイド。撮影は涼一郎さん

 川口さんがトイレに行ったので、しばらく座って待つ。それにしても暑い。トイレから戻ってきたので出発。しばらくはゆるやかな登り坂が続く。最初のうちは私の方が元気で他の二人を待つことが多かったのだが、坂道に入ってから遅れ始めた。このあたりから、あぼしさんと川口さんが二人で走り、その後を私が少し遅れてついていくという形態が増えてきた。

 暑い中、影もない道を登り続けた。前方を歩くランナーがいる。差が縮まらない。縮まらないばかりか開いているようにも思える。歩くよりも遅い? 走るのが嫌になって歩いてみる。なんと走るのと大差はないではないか。しかし、あぼしさんと川口さんが待っていると思うと、自分は歩くわけにはいかない。必死で走り続けた。下りに入った。先の方に座り込んでいるランナーが見えた。あぼしさんと川口さんだった。かなり待ちくたびれたような感じだった。

 やっと追いついたところで、あぼしさんから、これからのコースの説明を受けた。夏木原キャンプ場の標識があって、そのすぐ先に草餅が頂けるエイドがあるとのこと。そこまではずっと登りだとのこと。説明を聞きながら、この二人になんとかついて行こうと思うのだが、やっぱり離された。

 あぼしさんと川口さんとペースが大きく違ってきている点にようやく気が付いた。もうすぐゴールだし、待っていただくよりも、先に行って頂いた方がいいと思った。しかし、それを伝えようにも彼らはもう見えないところに行ってしまっていた。私を抜く人がいたら、伝言を頼もうか? ボケた頭で考えていると、時折、C組(70キロの部)やB組(140キロの部)のランナーが追い抜いていく。立ち止まってもらって伝言を御願いできないほどの速度差で追い抜かれてしまう。あぼしさんと川口さんに先に行って頂く事を早く気付かなかった自分が情けなかった。

 背中が痛くなってきた。背中というか、肩甲骨のあたりだろうか。昨年11月の交通事故で胸骨にひびが入ったのだが、このとき、背中も痛かったのだ。レントゲンを撮っても骨には異常は見られなかったので、整形外科では治療はしてもらえなかったが、軽い鞭打ち症だとのこと。胸骨がほぼ治っても、背中だけはまだ治っていない。整形外科では牽引治療しかないと言うので、整体に行ってみた(3月3日)が、ストレッチをしろとのことだった。

 それで、3月3日からストレッチを開始して、少しはよくなってきた感じはしていたのだが、まだまだ完全ではなかったのだ。200キロ超の距離を走り、背中の筋肉(神経? 骨?)がとうとう悲鳴を上げてきたのだ。背中を触ってみた。まったく感覚がない! 痺れていたのだ。とにかく背中の負担を軽くするために、ザックの片方の肩紐を外してみた。少し具合がよさそうだ。しばらく、これで走ってみた。

 夏木原キャンプ場右方向の標識があった。そろそろ「草餅」がいただける私設エイドがあるはずだ。走るペースを少しだけ速めた(と言っても、歩くほうが速いかも)。ゆるやかなカーブを抜けると、エイドが見えてきた。暑い日向にあぼしさんが立って待っている。待ってくれているので、ペースを落とせない。皆から注目される中でなんとかエイドに辿り着いた。あぼしさんに謝った。「ペースがかなり違ってきたので、先に行ってください。早く気付かなくてごめんなさい。」すると、「川口さんは既に先に行ってもらった。私もここから先に行かせてもらうよ。」とのこと。それから、ここから先のコースの説明をしてくれた。

 店先に座り込んだ。もう立っていられない。おばちゃんが草餅を持ってきてくれた。おいしい〜。かなり生き返る味だった。紙コップにお茶を汲んで飲んだ。こちらも生き返る。本当に喉が渇いていたのだ。空になったペットボトルにお茶を入れていただいた。これでゴールまで走ることができそうだ。

夏木原キャンプ場私設エイドのおばちゃん。撮影は涼一郎さん
夏木原キャンプ場私設エイドのおばちゃん。撮影は涼一郎さん

  nabeさんとUMMLの高田@広島さんがやってきた。調子は回復したようだ。しばらく休んで出ていかれた。

 隣に座っていたランナーがリタイヤしたいと言い出した。これまでに2回も完踏しているし、ここまで走れば十分だとのこと。ボランティアスタッフが必死になだめていた。そこにタイミングよく収容バスがやってきて目の前に停まった(このランナーが手を挙げた?)。ボランティアがバスに停まるな、行ってくれと言っている。このランナーも腰が上がらない。収容バスは少し停車しただけで行ってしまった。

 結局、このランナーは走っていかれた。最後は私だけ。さぁ行こう! と意気込みはあるのだが、立てなかった。左足の足首が固まっており、ほとんど曲がらないのだ。しかも力を入れようとすると激痛が走る始末。ダメかもしれない。そう思った。しかし、残り数キロでゴールなのだ。リタイヤは考えられなかった。普通に立てないならば逆にやってみよう思い四つん這いになってみた。犬のように四つん這いになった状態から建物の柱に手をかけて立ち上がろうとした。「くっ」痛みに声が漏れる。固まった状態の左足を前に出し、少しだけ体重をかけた状態で右足を前に出す。なんとか立てたぞ! エイドの方々にお礼を言ってスタートした。

 エイドからしばらくは急な上りが続く。走るなんてとんでもない。まずは道路に横断し、道路の右側を歩く。あぼしさんの話では、しばらく行くと道路の右側に萩往還道に入る箇所があるそうだ。のんびり歩いた。まったく走る気力も残っていなかった。ようやく右折。しばらくは上りが続く。山道に入ったので、杖になりそうな木を探してみた。どこにもなかった。細いものや短いものはあるのだが、適当なものがなかった。既に多くのランナーやウォーカーが拾ってしまったのだろう。下り道なった。カエルの鳴き声が聞こえる。なおも歩いた。

 後ろから甲高い規則的な音が聞こえてきた。杖をついたランナーが追い抜いていった。ついていく気力はまったく残っていなかった。それにしても杖がうらやましかった。

 曲がり角に差し掛かったとき、前方に白いウェアのランナーが見えたような気がした。そんなに離されていないかもしれない。杖の彼もペースが落ちているようだ。しかし、いくら走っても追いつかなかった。

 ポーチの中に鎮痛剤があるのを思い出した。ここまでに何度も飲んだが、そんなに大きな効果はなかった。しかし、藁にもすがる思いで鎮痛剤を飲むことにした。ポーチから2錠取り出して、手にもったペットボトルのお茶で飲んでみた。

 さっきまで走ること、歩くことを拒みつづけてきた左足の足首の痛みが少しひいてきたように感じた。少しペースを上げてみた。いけるかもしれないと思った。後ろからやってきたC組のランナー(70キロの部)に残りの距離を聞いた。すると、「最後まで下りて、舗装路に入ってから5キロくらい」とのこと。いけるところまで走ってみようと思った。

 車の音が聞こえてきた。車道が近そうだ。そろそろ山道が終わりで舗装路かも。期待して下りていくと、そこには警備員さんが立っていて、道路を横断して階段を登れとのこと。まだ山道が続くようだ。フラフラになりながら登っていった。足がふらつくと階段から落ちてしまいそうなのに気がついて、なるべく階段の端には近寄らないようにした。ここで老夫婦と擦れ違った。「どこまで走るの?」と聞かれた。「山口までです。しかし、2日の夜から走っています」と答えた。呆れていた(^_^;)

 この老夫婦は歩いていらっしゃったのだが、私からどんどん遠ざかっていく。私の走るペースは彼らよりも遅いようだ。

 さっき抜いていかれた老夫婦がベンチで座って休まれていた。ちょうどいいので、写真を撮っていただいた。それではと老夫婦側も写真撮影を依頼してきた。彼らはベンチの端と端に離れて座っていたのでくっついてくださいよ、とリクエストした。自分が年を取ったら、あんな仲良し夫婦でありたいと思った。

萩往還の石畳
萩往還の石畳

 コースはつづら折りのようになっていた。路面は石畳のところもたくさんある。滑らないように慎重に、しかし急いで走った。前方にランナーが見えてきた。かなり前に抜いていった杖をついたランナーだった。下りの石畳で一気に追い抜いた。なおも走りつづけた。杖の音が少しずつ遠ざかっていった。ようやく舗装路に出た。ここからは山口の瑠璃光寺を目指して走るだけだ。

 前にはランナーは見えなかった。とにかくまっすぐ走っていった。しかし、道はゆるやかな登りになった。あぼしさんからは、ずっと下りだと聞いていたので心配になった。後ろを振り返った。誰も来ない。立ち止まって後ろを待とうとも思ったが、脚が動くうちに前進したほうがいいと思った。再び前を向いて走り始めた。コースが心配なので、時折、後ろを振り返ってみるうちに、遠くにこちらに向かってくるランナーが見えた。安心して走り始めた。

 遠く後ろに見えたランナーが追いついてきた。数人の集団だった。C組(70キロの部)だ。さすがに皆元気がある。右側には一の谷ダム。前方に女性が立っていた。中村さんだ。スタートしてから何度も会っていた。涙が出てきた。頑張るぞとハイタッチ。


瑠璃光寺  250km:   5月4日14時45分32秒到着  (44時間25分32秒経過)
    5月4日8時45分到着予定  (6時間遅れ)

 市街地に入ってきた。前方にB組(140キロの部)の女性ランナーが見えた。一気に差を詰めて追い抜いた。なおも走りつづけた。瑠璃光寺が近づいてきた。前方に見覚えのあるランナーが見えた。夏木原キャンプ場のエイドでリタイヤを申し出ていたランナーだ。不思議に痛みを感じなかった。彼に追いつきたい。いつのまにかマラニックランナーから マラソンランナーになっていた。彼が曲がり角を右折し、一時的に見えなくなったが、自分も右折して、すぐ前に彼がいた。一気に追い抜いた。瑠璃光寺の正門が見えた。

 ゆるやかな登り坂だが、いいペースで走りつづけた。正門の左右に人だかりがある。拍手で迎えてくれた。正門を通過。次は左に曲がったところがゴールのはずだ。左折した。ゴールテープが見えた。ずっと夢に見てきたゴールだった。ゴールの向こうに大村さんの笑顔が見えた。その瞬間、ずっと我慢しようとしてきた涙が溢れてきた。ゴールテープを切る瞬間、涙で前が見えなくなった。

 大会本部テーブルの右側には一緒に走った仲間たちがいた。大村さん、川口さん、あぼしさん、nabeさん、そして古屋さんもいた。平井さん、宮本さん、住友さんもいた。古屋さんは暑さで胃腸を痛めてしまい、残念ながらリタイヤされたそうだ。大村さんは、やはり肉離れとのことだった。

ゴール直後、休んでいるところ。左端は川口さん、右端はnabeさん。後ろを向いている黄色いシャツは古屋さん。撮影は鮎川さん
ゴール直後、休んでいるところ。左端は川口さん、右端はnabeさん。後ろを向いている黄色いシャツは古屋さん。撮影は鮎川さん


2.川尻岬〜宗頭 4.ゴール後
 
最初のページ


mailto: tomikazu@ultraman.sakura.ne.jp
Last update: June 15, 2003