ゴール後

 宮本さんから、大会前に行ったスーパー銭湯に一緒に行かないかと誘って頂いた。このときはまだゴール直後で、もう少し休みたかったので、断ってしまった(後から大後悔)。

 古屋さんが、私が預けている荷物を取りに行って、車まで運んでくださると言う。断ったのだが、ザックに付けた名札を持っていってしまった。荷物の受け取りには名札が必要なのだろうか? 今回、古屋さんには最初から最後までお世話になりっぱなしだった。

 ゴール直後、鮎川さんが写真を撮るというので、ゴール前まで連れていかれた(写真ありがとうございます)。その後で、鮎川さんの話では、間寛平さんが参加したとのこと。確かに、近くに間寛平さんがいらっしゃった。川口さんに話すと、写真が欲しいとのこと。それでは、一緒に撮ってもらおうと、頃合を見計らって、「写真を一緒に撮らせてください」と御願いしに行った。すると、寛平さんの前にいた男性が振り返って「ごめんねぇ」だって。この人の顔を見てたじろいでしまった。なんと、S本氏だった。

 実は、2001年の秋、歴史街道丹後100キロに参加した際に、開会式でこのS本氏の演説を聞いて以来のアンチファンなのだ(笑) 話し方が妙に胡散臭く感じてしまった。その後、スパルタスロン問題とか、日テレの24時間テレビ問題を知り、やっぱりと思った次第。

 後ろの方から(フラッシュを切って)とりあえず撮影だけさせて頂いた。

撮影の瞬間、タイミング悪く寛平ちゃんは下を向いてしまった。残念。
撮影の瞬間、タイミング悪く寛平ちゃんは下を向いてしまった。残念

 携帯で妻にゴールを知らせたいし、とにかく携帯を置いてある車まで戻ることにした。瑠璃光寺から県庁は大した距離ではない。しかし、痛めた脚には辛い距離だった。

 車に向かいながら、申し込んでおいた懇親会をどうしようかと悩んだ。当初の予定では午前中にゴールして、ゆっくりお風呂に入ってから寝て、その後で懇親会に出ようと思っていたのだ。しかし、もう午後3時だ。これから寝てると懇親会には出られない。逆に懇親会に出ると寝ることができない。懇親会はやめようかと思った。それでは、風呂はどうするか?

 どうやら、ゼッケンを見せると無料で入ることのできる銭湯が近くにあるらしい。瑠璃光寺からは歩いていける距離だそうだ。ただし、普通の銭湯だそうで、サウナとかは期待できない。その一方、大会前日に古屋さんたちと行った湯田温泉の銭湯は多少高いが、サウナもあり、のんびりでききる。しかし、車で行かなくてはならないというデメリットもある。今の体の状態で車の運転は避けた方がいいように思う。頭も体もボロボロなのだ。さっき宮本さんたちから、一緒に湯田温泉に一緒に行くかと誘って頂いたときに、一緒に行けばよかった。

 お風呂を徒歩で行ける無料の銭湯にするか、車で湯田温泉に行くか、また懇親会に出席するか、しないか、決まらない。懇親会に出席しない場合は夕食をどこかで買ってこなくちゃいけない。懇親会の費用は既に払っているので、追加料金は不要だ。頭が回転しないので、どうしたらよいかわからない。

 駐車場の自分の車に着いたが、古屋さんはまだ来られていなかった。花壇の石垣に座り込んで荷物を降ろした。まず最初に車を開けて、携帯で妻に連絡をした。予定よりはかなり遅くなったけど、無事完踏できたことを伝えた。懇親会とお風呂をどうしようかと妻に相談してみた。頭がボケて自分では考えられないのだ。妻もよくわらないという(当たり前だ)。電話中に古屋さんが荷物を持ってきてくださった。

 古屋さんは、友人がこれからゴールするのと、ウォーキングの部に出られた奥様が萩からバスで帰ってくるのを出迎えるので、瑠璃光寺に戻るという。ということは、わざわざ私の荷物を届けるためにここまで歩いてきてくださったということか。本当に古屋さんにはお世話になりました。

 ふじもっちゃんから、携帯に着信があったので、完踏を連絡。もしかして仕事中だったのだろうか? メールにしておけばよかったと後から気付いて反省。

 しばらく休んだ後で、お風呂と懇親会はやめて車でおとなしくしていようと決心した。銭湯と惣野旅館の場所を探すのが面倒だと思ったのが決め手だった。バス停のトイレに行って、洗面所でタオルを濡らして簡単に体を拭いて着替えた。懇親会をやめることを伝えようとnabeさんに電話した。するとnabeさんはまだ会場におり、これから出るところだと言う。聞いてみると、銭湯にも行くという。

 nabeさんと一緒に行けば、銭湯と惣野旅館の場所がわかるということで、急遽予定を変更して一緒に行くことになった。説明会のあった武道館前の交差点で待ち合わせをした。待ち合わせ場所まで行って、nabeさんがまだ来てなかったので、交差点近くのスーパーに行って翌日の朝食代わりのパンと2リットルのペットボトル入りのドリンクを買った。おそらく夜中に喉が渇くだろうし、500ミリリットルでは足りないと思ったからだ。スーパーから出て待ち合わせ場所に行くと、ちょうどnabeさんが瑠璃光寺からやってくるところだった。

 nabeさんは懇親会の開催される惣野旅館に宿泊予定だ。お風呂は惣野旅館の近くにあるらしい。二人で疲れた脚で歩くのだが、思っていたよりも遠かった。二人でトボトボと歩き、旅館に荷物を置いてくるというnabeさんと別れて、私は先にお風呂に入っておくことにした。番台でゼッケンを忘れたことを話すと、番号を教えてくれという。それを記入して、無料で銭湯に入ることができた。

 お風呂は普通の銭湯。まずは体を簡単に洗っておいて湯船に浸かった。最高に気持ちよかった。あまりにも気持ちよくて寝てしまいそうになる。のんびりしていると、nabeさんがやってきた。

 お風呂の後は、懇親会まで時間があったが、会場で待たせてもらうことにした。会場には既にテーブルが用意されていた。部屋の端の方に行って寝転んだ。あっという間に意識を失って眠りに落ちた。

 nabeさんに起こされたときには、目の前に小野さんが座られていた。

 近くには森下さん、nabeさんがいらっしゃった。まずは料理で腹ごしらえ。ビールも美味しかった。ゴール後は湯田温泉に車で行くかもしれないと思って、ビールは飲まなかったのだ。

 午後8時過ぎ、まだ盛り上がる懇親会から帰ることにした。惣野旅館に泊まるのだったら、まだ楽しんでもいいのだが、私は県庁に帰らなくてはいけない。酔払って帰るには体調がよくないし、距離も遠いのだ。

 惣野旅館から県庁駐車場までトボトボと動かぬ足で帰った。寝る場所は車の屋根の上のカーテントはやめて、車内にした。動かない足でハシゴを登られないし、特にハシゴを下りるのが危険だと思ったからだ。スタート前から、ゴール後は車内で寝ようと計画しておいたから、車内に寝袋を広げて、寝る場所を確保しておいた。ちなみに、私の車はピックアップトラックがベースになっている。従って、シートを倒すと広大なフラットなエリアが出現するのだ。車室の高さはちょっと低いが、完全フラットな荷室を持つ車って他にはないのではなかろうか。


5月5日(大会翌日)

 夜の10時頃には寝たと思う。しかし、12時頃、午前2時頃、午前4時頃、午前6時頃となぜか2時間毎に目が覚めてトイレに行きたくなるのだ。やはりビールを飲んだからだろうか。

 懇親会から帰って来る頃はまだなんとか歩けたのだが、時間が経つにつれて左脚が動かなくなっていった。その痛みは単なる筋肉痛ではなく、明らかに異なった痛みだった。やはり、最後の数キロを無理して走ったのが効いていると思う。

 午前8時に起きたときは、またNHKの朝の連ドラを見てしまった。そろそろ外で声がし始めた。古屋さんとその福岡から来られたお友達、そして宮本さんが起きられたようだった。

 しばらくして、ホテルに泊まれていた平井さんと住友さんもいらっしゃった。外で色々話しているようだが、私はまだ頭がボケていたし、体も動かなかったので車内でゴロゴロしていた。

 車内でうとうとしていると、nabeさんから電話がかかってきた。これから惣野旅館を出るとのこと。朝、小野さんが順位表を旅館に配りに来られたとのことで、それを持ってきてくれると言う。nabeさんは車だと思ったので、県庁まで来てくれるように御願いした。

 nabeさんも来られるので、そろそろ起きようと車から這い出した。夜中に何度もトイレに行く毎に脚が動き辛くなっていたが、今回はますます足が動かなくなってきていた。外にいた古屋さんたちのところに行って挨拶をした。ちょうどnabeさんがやってきた。なんと、車ではなくて歩いて来られたようだ。歩くんだったら、県庁まで来るように言わなきゃよかった。ごめんなさい。nabeさん。

 nabeさんに順位表を頂いた。どうやら、古屋さんたちも別ルートから順位表を頂いていたようだった。

 その後、近くに駐車されていた岡山のご夫婦が出発。この方たちは後から知ったのだが、鬼たいじマラニックで私設エイドをされていたご夫婦だそうだ。もっとお話しするんだった。

 徳島の三人組も出発。この方々にお会いできるのは、来年の萩往還だろうか。その前に2月の吉備路マラソンや4月の鬼たいじマラニックがあるかも。あっ、そういえば、UMMLの梅マラニック等にも参加されているそうなので、これからもお会いできる可能性が高い。今回は本当にお世話になりました。

 平井さんたちに、マラニックでのお礼を言った。彼女の言うには、「自分は大したことしていないよ」とのこと。とはいっても、平井さんのおかげで走られなくなっていた静ヶ裏キャンプ場から宗頭まで走ることができたのは事実だし、特にライトを貸して頂いたのは助かった。それを言うと、「順送りですよ。次は誰かに返してあげてください」と住友さん。マラニックの真髄を少し理解できたような気がした。

 最後に、私が出発。もう少し残るという古屋さんたちに、来年の鬼たいじマラニックでの再会を約束して別れた。古屋さんには最初から最後までお世話になった。今回、気持ちよく萩往還を走ることができたのは、古屋さんのおかげと言っても過言ではないと思う。本当にありがとうございました。

 その後、防府東ICから廿日市ICまで山陽自動車道に乗り帰宅した。家に着いたのは午後1時半。山口県庁からの所要時間は3時間弱、高速料金は\2,950の道のりだった。これなら来年からも萩往還は気楽に参加できるかも。ただし、参加費が高いのがネック。


最後に

 今回、萩往還に参加して、いろんな方々と出会った。大会前日から福岡の古屋さんとご一緒させて頂き、お友達の徳島の住友さん、宮本さん、平井さんをご紹介頂いた。走り出してからは広島の大村さんにずっとペースを作っていただいた。大村さんのお知り合いの川口さん、入川さん、赤野さん、小川さんとずっと一緒に走って頂いた。途中からFRUNの安星さんとご一緒するようになり、私のペースが落ちてきてついていけなくなってからは、赤野さんに引っ張っていただいた。仙崎から宗頭までの暗い道でライトがなくて途方にくれているときは、平井さん、宮本さん、住友さんに助けて頂いた。

 宗頭からは再度、安星さん、川口さんとご一緒させていただいた。萩往還道では、お二人に何度も待っていただいた。ゴールテープの向こう側には大村さんの笑顔があり、笑ってゴールしようと心に決めていたのだが、大村さんの笑顔を見ると泣いてしまった(大村さんはリタイヤされた)。

 もちろん、多くのスタッフやボランティアの方々のおかげで走らせて頂いたと思っている。この大会に関わったすべての方々に感謝したい。来年は家族が増えるため、金銭的、時間的な問題で参加できないかもしれない。しかし、この大会に参加して学んだ多くのことは一生忘れない自分の財産になったと思う。いつかこの大会に再度参加できる日までずっと続いていて欲しい。萩往還マラニックよ永遠なれ。


3.宗頭〜瑠璃光寺 A1.仲間たち
 
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Last update: June 16, 2003